2023年、日本テレビに華々しく入社した山本里咲アナウンサー。ミスコン出身の経歴や、スポーツに打ち込んだ青春が話題ですが、その裏側にはあまり知られていない「浪人生活」というドラマがありました。ハンドボール全国3位という輝かしい実績を持ちながらも、第一志望大学には現役で合格できず、挫折と葛藤を抱えた1年間。
それでも夢を諦めずに前へ進んだ山本さんは、國學院大學へと進学し、見事アナウンサーとしての道を切り拓きます。本記事では、そんな彼女の浪人経験を中心に、学生時代の努力や成長、そして夢を実現させた背景を丁寧に追っていきます。
【中学時代の原点】委員長とハンドボール部キャプテンで育まれたリーダーシップ
きょうの日テレNEWS24 山本里咲さん pic.twitter.com/XX2vMQacvH
— イスラノボニータ (@isurano_0310) November 6, 2024
千葉市立若松中学校で過ごした中学時代、山本里咲さんはすでにリーダーとしての素質を発揮していました。クラスでは委員長を務め、ハンドボール部ではキャプテンとしてチームをまとめていたそうです。得意の走力を活かしたプレースタイルは顧問の先生にも高く評価され、中学3年生のときには千葉県の強化指定選手にも選出されました。
当初は親友に誘われて始めた部活でしたが、練習を重ねるうちに競技そのものに熱中するように。周囲からの信頼を集めながら、自然と“みんなの中心”になっていた彼女。この時期に身につけた責任感やチームワーク力は、のちの浪人生活という孤独な時間でも大きな支えとなります。
【全国3位の栄光と苦悩】昭和学院高校ハンドボール部での壮絶な青春
進学先は、千葉県のスポーツ強豪校・昭和学院高校。5つのコースが設置されている学校ですが、山本さんの在籍コースは明らかにされていません。ただし、注目すべきはその部活動。全国大会常連のハンドボール部でキャプテンを務め、全国3位という成績を収めています。
しかし、入部当初は全国から実力者が集まり、ついていくのがやっとだったといいます。自信を失い、思い悩むこともあった彼女は、それでもチームの一員として努力を惜しまず、練習以外にも食事管理を徹底。10kgの増量に成功したのも、「もっと強くなりたい」という情熱の証です。
この経験は、受験での挫折と向き合う際にも活きました。受験の失敗を「限界」ではなく「次の挑戦」として捉え直し、浪人生活に前向きに臨めたのは、高校時代の鍛錬と支えてくれた家族の存在があったからこそです。
【浪人から逆転】山本里咲が國學院大學に合格するまでのリアルな一年
現役では志望校に合格できず、1年間の浪人を選んだ山本さん。高校では目立つ存在だった彼女も、浪人初日は誰も知り合いのいない環境に不安を感じたといいます。
しかし、目指すのは「アナウンサーになる」という夢。それを実現させるために、毎日自習室に通い、地道に学習を続けました。予備校には通わず、計画も自己管理もすべて自分でやり切るというスタイルを貫きました。
苦しいときに支えてくれたのは、母親の「アナウンサーってかっこいいよね」という何気ない一言と、部活動で培った「やると決めたらやり抜く」精神。その1年間の努力が、見事國學院大學法学部への合格という形で報われたのです。
【夢への加速】浪人を乗り越えた先にあった“ミスコン”と“福娘”という転機
國學院大學に入学後、山本さんの大学生活は“夢の具現化”の連続でした。1年生のとき、声をかけられて何気なくエントリーしたミスコンでは、まさかのグランプリ獲得。本人も「通るはずないと思ってた」と語るほどのサプライズでした。
さらに、アナウンサースクールに通いながら、結婚式場やマクドナルドでのアルバイトも経験し、社会性を磨いていきます。2年生のときには、女性アナウンサーの登竜門ともいわれる今宮戎神社の「福娘」にも選ばれました。神道に興味があったこと、そして尊敬する先輩が福娘だったことが応募のきっかけだったそうです。
大学生活ではサークル活動よりも、将来を見据えた自己投資に集中。浪人で得た「時間の使い方」や「優先順位のつけ方」は、この時期の行動にも如実に表れています。
まとめ|浪人は“遠回り”じゃない。夢への最短ルートだった
山本里咲さんの人生は、一見すると順風満帆に見えるかもしれません。しかしその裏には、浪人という“時間の試練”がありました。人と比べられやすいアナウンサーという職業に就くために、たった一人で努力し続けた1年間。これは単なる遠回りではなく、夢へ向かうための最短ルートだったのではないでしょうか。
浪人を経験したからこそ得られた「本当の自信」。その土台の上に、今の彼女の明るく芯のある姿が築かれています。努力を積み重ねた人間にしか出せない言葉の力──それこそが、山本さんの最大の魅力と言えるでしょう。
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