俳優の渡瀬恒彦さん、胆のうがんで死去
朝から、驚きのニュースが。
俳優の渡瀬恒彦さん(72)が亡くなったそうだ。
死因は、胆のうがん。
2015年の夏頃に体調を崩して検査をしたところ、胆のうがんの悪性腫瘍が見つかった。
数か月、治療に専念しつつ、少しずつ仕事に復帰していた。
また、昭和の俳優が亡くなりましたね。
1月に亡くなった、松方弘樹さんとの親交も深かった渡瀬恒彦さんですが、松方弘樹さんの後を追うように亡くなってしまいましたが、昭和から活躍されてる俳優さんが亡くなるのはとても寂しいですね。
昭和から活躍されていた、性格俳優の藤村俊二さん、そして、いつまでもティーンエイジャーみたいな人だったムッシュかまやつさんも亡くなり、寂しい限りです。
渡瀬恒彦の嫁さんは、「い歩」さん。画像はあるのか
渡瀬恒彦さんは1973年に女優の大原麗子さんと結婚。
1978年に離婚してましす。
大原麗子さんと離婚してから一年後に渡瀬恒彦さんは一般女性と再婚しました。
名前は「い保」さん、という名前の女性のようです。
結婚後は「渡瀬い保」です。
「い保」って変わった名前なので、韓国か中国の人かと思いましたが。
日本の方のようですね。
昔の日本人の女性はの名前は変わった名前の人が多かったですからね。
さて、渡瀬恒彦さんの嫁さんの「い保」さんの画像があるのか調べてみましたが、まったく見つかりませんでした。
再婚した嫁さんは一般人なので、仕方がありませんよね。
最近の芸能人は一般人と結婚された場合、なかなか結婚相手の写真を見せませんが、昭和という時代に結婚した芸能人は、何気に結婚相手の写真や結婚式の映像をなどをテレビで公開したものですが、渡瀬恒彦さんは、あまりプライベートを公開しなかったみたいですね。
結構古風な考えの渡瀬恒彦さん、それが前嫁の女優の大原麗子さんと離婚するきかっけになったようです。
前嫁の大原麗子さんと離婚した理由は?
渡瀬恒彦さんは、1973年から1978年の5年の間、女優の大原麗子さんと結婚されてました。
5年後離婚されるわけですが、決して憎しみ合って離婚したわけではないようです。
渡瀬恒彦さんの家柄は古風考えを持っていたらしく、女性は結婚したら家に入って、家の仕事に従事する、という考えがあったようです。
しかし、大原麗子さんは女優です。
渡瀬恒彦さんと結婚後、徐々に人気が出てきて仕事がたくさん舞い込んできたようです。
女優として忙しくなってきたら、家のことはなかなかできません。
そして、夫の渡瀬恒彦さんとのすれ違いの生活。
しかし、それが直接の離婚の原因になったわけではなく、大原麗子さんが仕事が忙しくなるにつれて、渡瀬家と溝ができてしまったことが離婚の理由のようです。
大原麗子さんは、最後の最後まで渡瀬恒彦さんを好きだったそうです。
大原麗子さんは1980年に演歌歌手の森進一さんと再婚されました。
そして4年後に離婚。
離婚後の大原麗子さんのコメントでは「家庭に男が2人いた」と語った。
大原麗子さんは森進一さんとの間に子供を身籠ったが、仕事を優先させたことで堕胎したそうです。
このことから「家庭に男が2人いた」というコメントの意味がわかりますよね。
森進一さんは歌、大原麗子さんは演技が第一だったようです。
森進一さんとの離婚と渡瀬恒彦さんとの離婚理由が、なんとなくリンクしますよね。
やはり生粋の女優さんだったみたいです。
2009年に大原麗子さんが亡くなったあとのお別れ会には、渡瀬恒彦さんと、森進一さんも出席したという。
大原麗子さんは、2度の離婚歴がありますが、渡瀬恒彦さんと森進一さんがお別れ会に出席してるの見ると、2度の離婚はいずれも憎しみ合って別れたようではなさそうです。
コメント
私も大好きでした
セーラー服と機関銃の頃からでした
結婚相手は、渡瀬恒彦さんと思っていたくらいです
だから今でも亡くなったのは、信じられません