テレビやグラビア、雑誌モデルとして注目を集める玉田志織さん。
その明るく親しみやすい笑顔の裏には、幼少期から積み重ねてきた豊かな表現力と努力の歴史があります。
小学生の頃からダンスと歌に夢中になり、中学生では応援部として活動。
高校時代には「全日本国民的美少女コンテスト」で特別賞を受賞し、芸能界デビューを果たしました。
この記事では、玉田志織さんの出身校や学生時代のエピソードを中心に、どのようにして現在の活躍へとつながったのかを丁寧に紐解いていきます。
学歴の枠を超えた、夢への一直線な軌跡をご覧ください。
女優・玉田志織の学生生活を総ざらい!小中高と歩んだ成長の道
お花見に行ってきました🌸 pic.twitter.com/1oPaZITPKy
— 玉田志織 (@tamada_shiori) April 10, 2025
玉田志織さんは宮城県仙台市出身で、小学生の頃から地元のダンススクールに通い始め、ヒップホップダンスと歌を学んできました。
中学に進学してからもその情熱は変わらず、応援部で活動しながら、野球観戦や芸能への関心を深めていきます。
高校はスポーツが盛んな聖和学園高校に入学し、軽音楽部でバンドのボーカルを務めながら、芸能界への夢を追い続けました。
2017年には「全日本国民的美少女コンテスト」に出場し、審査員特別賞を受賞したことで芸能界入りを果たします。
このタイミングで東京に拠点を移し、堀越高校の芸能コースであるトレイトコースに転校しました。
多くの芸能人と同級生として学びながら、ドラマやグラビア、モデル業に本格的に取り組むようになります。
高校卒業後は大学には進学せず、女優業に専念。
その後も安定してメディア露出を重ねており、今後は声優や音楽分野にも挑戦する意欲を見せています。
ダンスに夢中だった幼少期|地元・仙台の小学校時代とは?
玉田志織さんが通っていた小学校は、仙台市内にある公立校とされています。
具体的な校名は明らかになっていませんが、地元密着型のダンススクールに小学校1年生の頃から通い始めており、ヒップホップダンスとボーカルのトレーニングに熱心に取り組んでいました。
本人はダンスについて「踊っていると、自分の世界に入り込んでしまう。極めたくなるんです」と語っており、早い段階から強いこだわりと情熱を持っていたことがうかがえます。
運動神経にも優れており、長距離走をはじめとした体力系の競技にも積極的に挑戦していました。
この頃から表現することへの興味も強く、NHKの子ども番組「天才てれびくんMAX」などに出演したいという夢を抱いていたそうです。
小学校6年生の時点で、すでに地元の芸能事務所に所属し、芸能活動をスタートさせていたことから、将来の進路を意識した行動力も感じられます。
表現力と行動力が開花|応援部で輝いた中学時代
玉田志織さんが通っていた中学校も、小学校と同様に仙台市内の公立校とされています。
校名については公表されていませんが、学生生活の中ではダンスに力を入れており、引き続き地元のダンススクールに通い続けていました。
この頃には技術力も磨かれ、舞台でのパフォーマンス経験も重ねていたと見られます。
中学2年生から3年生の期間には応援部に所属しており、チア活動にも積極的に参加していました。
特に野球部の試合には頻繁に応援に出かけていたことから、現在でも野球観戦を趣味として楽しんでいるそうです。
中学時代の玉田さんには、大人びた雰囲気が漂っていたようで、なんと中学2年生の時に24歳と間違われたエピソードも残っています。
見た目だけでなく、落ち着いた性格やしっかりとした話し方も、年齢以上の印象を与えていた理由かもしれません。
コンテスト受賞から上京へ|高校時代に始まった芸能人生
玉田志織さんが最初に入学したのは、宮城県にある私立の共学校、聖和学園高校です。
この学校はスポーツに力を入れており、特にサッカー部やバスケットボール部は全国大会でも知られる実力校です。
仙台市内に2つのキャンパスを構え、共学化以降は芸能活動やスポーツに打ち込む生徒も多く在籍しています。
在籍していたコースについては不明ですが、聖和学園高校には特進文理(偏差値54)、総合実践(偏差値43)、総合進学(偏差値43)の3つのコースがあります。
高校では軽音楽部に所属しており、ボーカルとしてバンド活動も行っていました。
文化祭では自ら作詞作曲した楽曲を披露するなど、表現の場を積極的に活用していたようです。
歌とダンスは小学生の頃から取り組んでおり、その積み重ねが現在の芸能活動に直結しています。
また、運動神経も抜群で、部活動には入っていなかったものの、選抜リレーで1位を獲得した経験があります。
体力測定でも学年上位に入るほどで、見た目のイメージとは裏腹にアクティブな一面を持っていたようです。
高校1年生だった2017年、全国規模で開催される「全日本国民的美少女コンテスト」に出場し、見事に審査員特別賞を受賞しました。
このオーディションへの参加は、「自分の実力を知りたかったから」と語っており、ネガティブになりがちな自分に自信を持たせたいという思いが強かったようです。
受賞をきっかけに芸能事務所に所属し、翌年の2018年には「センバツ応援イメージキャラクター」として全国的な注目を集めました。
そして、高校2年生に進級するタイミングで芸能活動に本格的に取り組むため、東京へ上京します。
その際、堀越高校のトレイトコース(偏差値37)に転校し、芸能界で活動する同世代の学生たちと共に学ぶ環境に身を置きました。
堀越高校では、同じ美少女コンテスト出身の犬塚しおりさんをはじめ、佐藤龍我さん(美 少年)、東海林クレアさん(ファッションモデル)など、多くの著名人と同級生として在籍していました。
上京直後は慣れない東京の生活に苦労したようですが、大好きなディズニーランドが近くなったことに喜びを感じていたと、インタビューで微笑ましく語っています。
高校卒業後は大学などには進学せず、芸能活動に専念しています。
2019年にはテレビドラマ『私のおじさん〜WATAOJI〜』で女優デビューを果たし、その後はグラビアやファッションモデルとしても活躍の場を広げています。
現在は、演技に加えて声優や音楽活動への関心も示しており、今後ますます活躍の幅が広がっていくことが期待されています。
学生時代から才能がきらり|夢に向かって突き進んだ軌跡
小学校時代から積み重ねてきたダンスと歌のスキル、そして努力を重ねる姿勢が、現在の多彩な活動へとつながっています。
聖和学園高校、堀越高校での経験は、単なる学歴ではなく、表現者としての土台を育んだ大切な時間でした。
これからも表現の幅を広げながら、着実に成長を続ける玉田志織さんの活躍から目が離せません。
夢に向かってまっすぐ進むその姿勢が、多くの人に勇気を与え続けてくれるはずです。
まとめ|努力と表現の積み重ねが今の玉田志織をつくる
玉田志織さんの学生時代は、単なる通学の記録ではなく、一つひとつの経験が今の表現力と魅力に直結している、まさに“未来を形作る土台”だったと言えるでしょう。
小学生時代に始めたダンスと歌。
中学での応援活動や表現する喜び。
そして高校でのバンド活動とコンテスト出場。
どのステージにも共通していたのは、「自分を信じて前へ進む姿勢」でした。
周囲に流されず、自分の好きなことを続けたからこそ、今の活躍があります。
高校時代にデビューを果たしてからは、女優として、モデルとして、そしてこれからは声優や音楽分野でも、さらに成長していく未来が待っています。
多くの若いファンにとって、玉田志織さんの歩みは「夢に向かって挑戦し続ける大切さ」を教えてくれる道しるべになるはずです。
今後もその等身大で真っ直ぐな魅力で、多くの人の心を惹きつけてくれることでしょう。
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