永源遥 死因は?サウナはどこ?危険?プロフィールは?

シェアする

プロレスラーの永源遥さん死去

eigenn

11月28日に元プロレスラーの永源遥さん(70)がお亡くなりになりました。

都内のサウナで倒れて、そのままお亡くなりになられたとのこと。

死因は現在調査中です。

永源遥が亡くなったサウナはどこ?

いろいろと報道を見て探したのですが、どこのサウナで倒れたのか書かれてませんね。

まぁ、事件や事故でもなければ、どこのサウナで倒れたかの詳細は公表しないでしょう。

倒れた場所は、都内のサウナとしか書かれてません。




永源遥さんの死因は?サウナは危険?

永源遥さんがサウナで倒れたということで、死因はおそらくサウナに関したことだと思うのです。

サウナによる健康法は人気がありますが、サウナで倒れる人も結構いるみたいです。

サウナも気をつけないと危険です。

サウナに入ると血管が拡張して血流が増えます。

このときは血液の流れがよくなることから、一気に血圧が下がります。

しかし、この状態で水風呂に入ると血管が急激に縮小、一気に血圧が上がってしまいます。

そのため高血圧の人や心臓に病気のある人には、サウナはとても危険。

死に至るケースもあります。

永源遥さんが、高血圧だったのか、心臓に疾患があったかはわかりませんが、年齢的に70歳ともなると、血圧も高いと思われます。

永源遥さんが、サウナで倒れたのも、水風呂に入って倒れたのかもしれません。

元々はプロレスラーだし、ご自分の体力を過信されていたのかもしれませんね。




永源遥のプロフィール

・1946年1月11日生まれ

・石川県出身

・大相撲出身で15歳に初土俵。16歳で序二段で優勝経験あり。

その後、相撲で伸び悩み1965年に引退。

・1966年に東京プロレスに入団。

・1967年に東京プロレス崩壊、日本プロレスに移籍。

・1973年に日本プロレスが崩壊し、新日本プロレスに移籍。

・1984年にジャパンプロレスが結成され、同団体移籍。ジャパンプロレスはその後、崩壊。

・1987年に全日本プロレスに移籍。

・2000年にプロレスリング・ノアの旗揚げと同時に同団体に移籍。

・2006年の三月に現歴を引退。

その後はプレスリング・ノアの常務取締役、相談役、など歴任。

全日本プロレスでは、胸にチョップされると客席に唾を吐くパフォーマンスで人気を得た。

客席は唾がかからないように逃げまどい、観客参加型のパフォーマンスは全日本プロレスの名物。

永源遥さんは、力道山が作った日本プロレスから、近代プロレスのプロレスリング・ノアまでを経験した、プロレスの歴史そのもののような人で、情報網、人脈に厚く、プロレス団体の経営者からも慕われていたそうです。

なんと政界にも人脈があり、森喜朗氏や総理大臣を務めた福田赳夫氏ともパイプを持っていたそうです。

永源遥さんの仲人を務めたのは、自民党の大物議員の森喜朗氏とのこと。

なんかすごい人だったんですね。

永源遥さんの葬儀には俳優の梅宮辰夫さん、落語家の三遊亭円楽さんも弔問に訪れたそうだ。

プロレスの世界では中堅レスラーどまりで、いつも脇役でしたが、その裏では渡り歩いたプロレス団体に大きく関与していたようです。

影の立役者だったようですね。

ご冥福をお祈りします。